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大学生のお勉強用

「日本の思想」要約・抜粋

 

本日は丸山真男氏の「日本の思想」を読んでいきます😊

国語の教科書に載っていることも多いので読んだことがある人も多いかもしれませんね!

(この記事、3章以降については要約ではなく、一部の重要と思われる箇所の抜粋&斜線部が要約となっています。ご注意を。。)

  

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 ⅰ、日本の思想

海外では分野をまたいだ思想史の包括的研究が比較的盛んであるが、日本では儒学史や仏教史等の個別研究は存在するが時代の知性構造を辿るような研究はとても貧しい

思想の全体構造に手が付けづらい所以は、それぞれの時代の文化や生活にとけ込んだ無常観や義理等の観念を、まるごとの社会形態ではなくて一個の思想として解明することが難しい点と、それが同時代の他の観念とどのような連関を持ち、次代の観念にどう影響するかはっきりしない点にある

日本には、仏教的な思想も儒教的な思想も、西洋的な思想も同じように雑居している

開国によって日本は、自己を外ー国際社会に開くと同時に、国際社会に対して自己を国=統一国家として画した

そのときに、中国に置ける儒教のような強靭な基軸を欠いていた。最終的には基軸として天皇制を正統とし国内を統合していく

外来思想の日本への移植過程を見ると、新しいものは過去のものとの十分な対決無しに側に押しやられ歴史から「忘却」されるので、時たま「思い出」として噴出してくる

また、異なった思想を接合し合理化することも多かった(ex. 明治のキリスト教

神道はその時代時代に有力な宗教と習合して教義内容を埋めてきた。この精神的雑居性が日本の思想的伝統を集約的に示しているといえる

伊藤博文憲法制定にあたって、これまでの伝統的宗教がその内面的基軸として作用するような意味の伝統を形成していく必要性を認めた

「国体」という非宗教的宗教が戦前日本の基軸として強い影響力を持ち、国体は臣民の無限責任によって支えられていた

 

ⅱ、

(現在準備中です。。。しばしお待ちを・・・)

 

ⅲ、思想のあり方について

ある物事の現実の様子と、我々―観測者の間には、イメージという厚い層がある(141

(自分についてのイメージに現実の自分を合わせていくという事態について)こういう一つの非常に新しい形態の自己疎外が起こっているのじゃないか。ところがこういう世界的な傾向と同時に、日本ではそういうばけものの横行を許す事情があるのじゃないか、われわれと環境の間につくるイメージの壁を厚くする条件があるのではないかという気がするのであります。(143)

!9世紀後半専門化された形態で西洋から学問が入ってきた←和魂洋才、東洋の道徳西洋の技術といった二分法をイデオロギー的に受け継いだ明治の国家体制にはそれがありがたかった=→ヨーロッパの学問を支えている思想や文化から切り離されてる(147)

日本はタコつぼ型社会であり、属しているツボが違う人同士が共通で理解できる「ことば」が存在しない(151)

たこつぼ型の弊害として、日本人みんなが被害者意識、自分はマイノリティであるという意識を持っていることがあげれる。コミュニケーション不足?(160)

戦前の日本ではたこつぼをつないで国民的意識の統合性を確保していたのが天皇制であり、義務教育や軍隊教育を通じて注入された「臣民」意識でした。戦後、その役目はマスコミュニケーションが担うことになる(161)

が、マスコミュニケーションディスコミュニケーションが同時に作用し、たこつぼの中の言葉が???

 

Ⅳ、「である」ことと「すること」

民主主義というのは、人民が本来制度の自己目的化を不断に警戒し、制度の現実の働き方を絶えず監視し批判する姿勢によって、はじめて生きたものとなり得るのです。(173)

である」から「する」への社会の変化は、人間や機能の多様化に伴う(179)

閉鎖的な部落のなかでは、「うち」のメンバー意識と「うちらしく」の道徳が大手を振って通用するが、「そと」に出れば、武士とか町人とかの「である」社会の作法はもはや通用しないようなあかの他人との接触が待ち構えている。人々は大小さまざまな「うち」的集団に関係しながら、しかもそれぞれの集団によって「する」価値の浸透具合はさまざまなのですから、どうしても同じ人間が「場所柄」に応じていろいろにふるまい方を使い分けねばならなくなります。(194)

「する」価値と「である」価値が錯綜した社会

 

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