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「海を渡る機関車」要約

本日は中村尚史氏の「海を渡る機関車 近代日本の鉄道発展とグローバル化」をよんでいきます😊

  

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 要約

第一章 世紀転換期における機関車製造業の国際競争

機関車製造業の構成

1823年にスティーブンソンが機関車製造会社を設立して以来、イギリスでは多くの機関車会社ができ、市場を斡旋した

しかし、イギリス国内の主要鉄道会社でも機関車を自社生産する動きが盛んになり(そりゃ自社で作れるならその分コスト削減になるもんね!)、機関車メーカーは国内販売を減少させていく

1890年代以降、海外販売に活路を見いだすようになる→発展途上にあった当時の日本は恰好の市場だった

(なお、日本が重要な市場であったのは、イギリスの機関車を輸入し、後に自国の産業にしたドイツとアメリカも同じ)

 

機関車輸出市場の構造

1890年頃…英米間における機関車の性能・価格・納期をめぐる競争激化

南アメリカ、日本、英国植民地で両国メーカーのシェア争い勃発

 

1990年頃…新技術を積極的に採用したドイツメーカーが台頭

→三国間での国際競争に(機関車の標準化や互換性生産の導入、新技術の採用が競争を左右)

→操業の工夫や新技術に乗り遅れたイギリス、シェア低下させていく

 

国際競争力の源泉

The engineerには英米の機関車の比較を行った記事が掲載されている

(実際に両国の機関車が走っていたインド、オーストラリア、アルゼンチン、日本からの実験報告を基にしている)

それによると、速度と牽引力に優れたアメリカ製v.s.燃費を保守費節約に優れたイギリス製

(↑米は土地が広大で長距離を走る必要性、英は駅間が狭いので燃費をよくする必要性があるという地理的な要因がそれぞれの長所に関係していた)

→環境に合わせてどちらかの機関車を使えば良い

 

が、両国で納期が異なり、アメリカの方が早く製品が出来上がる。…この比較優位の源泉は型式の標準化と互換性生産にある

イギリスはなぜ標準化しない?

→イギリスの機関車メーカーは、大手の需要先である国内鉄道会社が自社で製造しきれない分のみを外注され、その注文を受けることで成り立っていたので、型式を標準化しにくかった。。。

 

第二章 日本における鉄道創業と機関車輸入

鉄道創業期の市場構造(1869−89年)

1869年、鉄道創業の朝議決定、日本で鉄道施設スタート(英公使パークスの尽力)

→政府のイギリス人御雇外国人が、英商社を通じ、イギリス本国のメーカーに機関車を発注

(第一次企業勃興期以前は官営鉄道が日本の鉄道網を独占=イギリスの独占)

 

アメリカ、ドイツ製機関車の日本進出

北海道の鉄道=開拓史の管轄→アメリカの技術導入

顧問技師クロフォードの活躍…道内の線路選定、設計、資材調達、人材調達、建設全てを行う

!在任後はアメリカ留学経験のある日本人に事業を引き継がせる!

 

一方ドイツ系商社は…

九州鉄道や、佐野鉄道などの地方鉄道に車両を売り込んでいく

 

機関車取引と外国商社

大阪鉄道や関西鉄道…官営鉄道のイギリスルート以外で資材調達を行う

→マセソン紹介の手引きにより、官営よりも0.5%安い手数料で機関車GET

 

第三章 日本の技術形成と機関車取引

技術形成と市場の流動化(1890−1903年)

1890年度には、民営鉄道の営業距離≫≫≫官営鉄道の営業距離に

民営鉄道を中心にアメリカ製機関車の納入が急増

 

御雇外国人から日本人中心の鉄道運営に(御雇外国人数は1874年がピーク)

英国領事ローサーが指摘「全ての日本の鉄道が外国人からのいかなる支援もなしで建設され、運営されるときが程なくやってくる」

その中心となった日本人技術者の多くはアメリカ留学経験者だった→アメリカのシステムに親和性が高い

(官営の日本人技術者は工部大学校出身が多い)

→→日本人技術者の誕生→機関車の製作や材料調達が日本人で可能に→資材発注の主導権はイギリス人から日本人に

 

アメリカの挑戦

1890年代の米の対日輸出の主役・機関車メーカーのボールドウィン

日本の代理店的なものを横浜のフレザー商会に任せる

 →この商会経由でボールドウィン社製の機関車が官営鉄道に使われる

 

日本商社の参入

先陣を切ったのは、軍の機械輸入貿易に従事していた高田商会…英米両国メーカーと取引

次は三井物産…1896年、NY支店設置→アメリカから円滑に調達、これが大成功

(背景には第二次鉄道ブーム1896−97年)

三井物産は総合商社=自社船でスピーディに製品を輸入

←大倉組などの専門商社は遅い定期船に依存。。。

 

大倉組はNY支店を設置、顧問技師としてアメリカ人クロフォードを雇う

クロフォードの仕事…①購入品の検査と証明書の発行 ②経験を活かして鉄道用品の価格・技術情報の提供 ③仕様書と見積書の差異に関する裁定 ④日本の鉄道関係者との人脈を活かした商品情報の提供

 

→日本商社の海外活動は御雇外国人によって支えられていた

 

第四章 局面の転換−日露戦争・鉄道国有化と機関車貿易−

日本市場の構造変化(1904−08)

1900年代前半の機関車日本市場は緩やかに拡大

but日露戦争勃発!

軍は朝鮮半島中国東北部で鉄道建設を急ピッチで行うため日本の鉄道各社から機関車を徴発、大陸に廻送

→国内の機関車の穴を埋めるために欧米に発注

 

1907年、鉄道国有化

その前の民間のかけ込み購入→納期の早いアメリカ製が人気(対して、イギリスの凋落)

 

対東アジア機関車輸出の競争構造

 20世紀初頭の機関車製造業…ドイツの台頭

・「長足の進歩」と、政府の補助金が可能にした「非常の低価」(ダンピング輸出)

・互換性製品や過熱式蒸気機関車の導入によって比較優位を実現

・アメリカは国内市場が好調で海外より国内に力を入れていた

 

市場環境の変化と商社の活動

日露戦争特需におけるフレザー商会=ボールドウィン社の対応の特徴

①京釜鉄道との長期的取引関係

②アメリカ式生産システムの大量・短納期が軍の要請に合致

③日本駐在のセールスエンジニア

 

第五章 機関車国産化の影響

機関車自給化政策と過熱式蒸気機関車

1908年、鉄道院発足−運輸部工作課のトップは島安次郎という民間鉄道でキャリア豊富な帝大出身者(この課員は他にも帝大出身者が占める)

機関車国産化鉄道車両形式の統一と標準化の好機

 

モデル機関車の輸入

国産化モデルはどの車両にすべきか?−燃費面を考えて、過熱式蒸気機関車がいい

過熱式という条件で、英米独にモデルとなる機関車を発注

 

機関車国産化と市場再編

徹底したモデル機関車の模倣生産→民間メーカーの技術習得

 

機関車国産化の影響…海外貿易で利益を得ていた商社に打撃

三井物産は機関車輸出産業の活路を中国に見いだす

 

1914年頃、大型車は蒸気機関車国産化の体勢が整う

but小型機関車においてはまだ国産以外にも輸入機関車に頼っていた

=重層的な市場構造(1920年代まで続く)

 

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