「歴史入門」要約
今回はフェルナン・ブローデルの「歴史入門」の要点をまとめていきます😮
薄い本なので、歴史学を学ぼうとする方はその名の通り入門書のような感覚ではじめに読んでみるといいかもしれませんね📚
(ただ、15〜18世紀の背景知識を有していないと内容を理解することは難しい気がします。なので、1巡目はさらっと斜め読みをして、歴史の概観を掴むような感覚で読んだ方がいいと思います)
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第一章 物質生活と経済生活の再考
人口のメカニズムは18世紀に天井を突き破る以前は、病気等による減少と増加を繰り返しながらもバランスを保っていた(マルサスの罠)。それ以降は、増加の一途。
1400から1800にかけてのアンシャンレジームの時代においては、交換経済は非常に不安定だった。だって生産の大部分は、家族ないし村落内の自家消費の中に吸収されて市場循環の中に入ってなかったから。
市は交換の機会を生む。小売店は商品を信用で仕入れ、信用で売り、こうして債務と債券の連続が生まれる
この交換の初歩的経済単位の上に、大市と取引所が誕生する
一方で、完全に交換経済とは無縁のままであり続けた固有の空間(自家消費してる空間)が存在し続けた
ヨーロッパ外にも、ヨーロッパと同じような交換経済の誕生を見ることができる
・中国…組織化された市
一つの都市の周りに6〜10個の村があり、人が行き来して商業を行う(フランスでカントンと呼ばれている方式)
→この毛細血管のような経済循環のせいで資本主義が中国で発達しなかった
第二章 市場経済と資本主義
資本主義と市場経済は別物。前者は15〜18cに進行した社会の積極的加担によって成立する経済活動。 後者の本質は生産と消費を仲介するものであり、下に広がる日常生活と上から浸食してくる資本主義に挟まれた領域。
15〜18cに市場経済は広がりをみせ、世界経済全体は緩く繋がった
資本とは、利用可能な、または、既に利用された労働の成果。家も小麦も資本であるが、使われずに金庫にしまわれた貨幣は資本とは言えない。
資本主義と国家は別物であるが、それらが一体化するときに栄える
資本主義が大きくになるにつれ、社会的階層が高い者が資本主義に寄生するようになった
資本主義は階層を必要とする
!中国とイスラム社会ではこれが異なる!
中国はヨーロッパと比べて社会的移動性が大きかった→科挙に受かれば寒門でも高官になれて、その地位は一代限り
つまり、世代を超えて財が受け継がれ難く、資本主義が発展しない
イスラムでは、土地所有は君主の権限。つまり、民の土地所有は一時的なもので、ずっと土地を持つ高い地位の一族が生まれなかった
第三章 世界経済
世界経済=世界市場
「世界=経済」=地球のある一部分だけの経済範囲。特徴は、ある与えられた空間を占める。一つの世界に一つの(経済的な)中心を持つ。いくつかの連続した地域に分かれる。
連続した地域とは、経済の中心地域と、その中心に対する中間地帯と、周辺地域である。周辺の生活は支配された奴隷のようであり、中心は自由である。(この論はウォーラーステインと概ね同じであるが、ウォーラーステインはヨーロッパ以外に世界=経済は存在しないとしていた)
ヨーロッパ世界において中心は移動していき、今はニューヨークにある
この世界=経済の考え方では、奴隷制、農奴制、資本主義が同時に存在する(例えば、西洋が中心、東洋が中間地帯、アメリカやアジアアフリカが周辺)
国民経済とは、国家によって統合された政治空間であり、活動全体が同じ方向を向いている。イギリスだけが早くこの空間を形成した。そして外国資本主義の干渉から逃れて、保護貿易政策をとり経済的な優位を確立していく。
現代の資本主義は増大した基本交換と財源に応じて、大きくなった。その基本的根拠は以下の三点。
・資本主義は国際的な資源と機会の搾取の上に成立した世界規模なものであること
・資本主義は合法的ないし事実的な独占に依存している
・資本主義はそれ自体の中に経済活動の全てを取り込むことはできない
ゆえに、筆者は以下の自説の正当性を確信する
「資本主義は頂点を目指した経済活動から生まれる。物質生活と市場経済の2つの層の上にある高利潤の層である。」
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重商主義政策
重商主義として有名なのはフランスのコルベールでしょう
彼が重商主義政策をとった背景は以下のようになっています
17cブルボン朝、30年戦争やスペイン継承戦争で恒常的な税収額を越える戦費がかかる
→戦費を補うために公債発行
→国家財政悪化
ルイ14世の治世、コルベールは重商主義政策として以下のことを主に行います
・ガラスやタピストリで王立マニュファクチャの創立
・宣誓ギルドの拡大による輸入代替
・輸出産業の奨励
・輸入品に対する高関税
・フランス東インド会社の創立
…つまり、保護貿易的な政策で特権的都市商工業者を育成することを目的としています
この問題点としては
1、保護貿易政策なのに、ヨーロッパの相互連関による経済発展を前提としている
2、特定産業の振興によって他産業の発展を阻害している
があげられます
ヨーロッパ型農業
ヨーロッパは気候が南北で異なるため、農法も変わってきます
南は地中海性気候で、北は海洋性気候、そして東ヨーロッパの内陸部は内陸性気候になります
ヨーロッパの多くを丘陵地帯が占め天水型農業が行われます
(※天水型農業…雨水に頼るため、灌漑型農業と異なり給水による肥沃ができない)
この天水型農業は、耕地を分けて耕作を行い、そのうちの一つは休ませて土地を肥沃化させる方法で、ニ圃制→三圃制へ変化します
ニ圃制から三圃制への移行は9cにロワール川ライン川を中心に始まります
この背景には、有輪犂を用いた耕作の普及、共同作業の普及、秋まきと春まきを組み合わせて耕作面積を増やすことが可能になったという出来事があります
そしてこれは、農業生産量を増加させ、ヨーロッパ社会にに大きな変化をもたらしました
その変化とは…
・共同作業を行う必要性から、保有地を囲わずに開放する開放耕地化→領主直営地と農民保有地が一体的に運用される
→賦役が減少、現物地代が増加
・集村化
その一方で、二圃制が残ったフランス南部は閉鎖耕地のままとなります
そのため、ヨーロッパには多様な耕作状態が併存することになりました
!ヨーロッパ型農業の特徴!
・牧畜との併存・相互関係(多元的な食料を生産するための安定感)
・土地生産性が低く、投下労働量を増やしても生産性が増えない
「日本の思想」要約・抜粋
「雨夜譚 維新以後における経済界の発展」要約
「海を渡る機関車」要約
本日は中村尚史氏の「海を渡る機関車 近代日本の鉄道発展とグローバル化」をよんでいきます😊
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- 要約
要約
第一章 世紀転換期における機関車製造業の国際競争
機関車製造業の構成
1823年にスティーブンソンが機関車製造会社を設立して以来、イギリスでは多くの機関車会社ができ、市場を斡旋した
しかし、イギリス国内の主要鉄道会社でも機関車を自社生産する動きが盛んになり(そりゃ自社で作れるならその分コスト削減になるもんね!)、機関車メーカーは国内販売を減少させていく
1890年代以降、海外販売に活路を見いだすようになる→発展途上にあった当時の日本は恰好の市場だった
(なお、日本が重要な市場であったのは、イギリスの機関車を輸入し、後に自国の産業にしたドイツとアメリカも同じ)
機関車輸出市場の構造
1890年頃…英米間における機関車の性能・価格・納期をめぐる競争激化
→南アメリカ、日本、英国植民地で両国メーカーのシェア争い勃発
1990年頃…新技術を積極的に採用したドイツメーカーが台頭
→三国間での国際競争に(機関車の標準化や互換性生産の導入、新技術の採用が競争を左右)
→操業の工夫や新技術に乗り遅れたイギリス、シェア低下させていく
国際競争力の源泉
The engineerには英米の機関車の比較を行った記事が掲載されている
(実際に両国の機関車が走っていたインド、オーストラリア、アルゼンチン、日本からの実験報告を基にしている)
それによると、速度と牽引力に優れたアメリカ製v.s.燃費を保守費節約に優れたイギリス製
(↑米は土地が広大で長距離を走る必要性、英は駅間が狭いので燃費をよくする必要性があるという地理的な要因がそれぞれの長所に関係していた)
→環境に合わせてどちらかの機関車を使えば良い
が、両国で納期が異なり、アメリカの方が早く製品が出来上がる。…この比較優位の源泉は型式の標準化と互換性生産にある
イギリスはなぜ標準化しない?
→イギリスの機関車メーカーは、大手の需要先である国内鉄道会社が自社で製造しきれない分のみを外注され、その注文を受けることで成り立っていたので、型式を標準化しにくかった。。。
第二章 日本における鉄道創業と機関車輸入
鉄道創業期の市場構造(1869−89年)
1869年、鉄道創業の朝議決定、日本で鉄道施設スタート(英公使パークスの尽力)
→政府のイギリス人御雇外国人が、英商社を通じ、イギリス本国のメーカーに機関車を発注
(第一次企業勃興期以前は官営鉄道が日本の鉄道網を独占=イギリスの独占)
アメリカ、ドイツ製機関車の日本進出
北海道の鉄道=開拓史の管轄→アメリカの技術導入
顧問技師クロフォードの活躍…道内の線路選定、設計、資材調達、人材調達、建設全てを行う
!在任後はアメリカ留学経験のある日本人に事業を引き継がせる!
一方ドイツ系商社は…
九州鉄道や、佐野鉄道などの地方鉄道に車両を売り込んでいく
機関車取引と外国商社
大阪鉄道や関西鉄道…官営鉄道のイギリスルート以外で資材調達を行う
→マセソン紹介の手引きにより、官営よりも0.5%安い手数料で機関車GET
第三章 日本の技術形成と機関車取引
技術形成と市場の流動化(1890−1903年)
1890年度には、民営鉄道の営業距離≫≫≫官営鉄道の営業距離に
民営鉄道を中心にアメリカ製機関車の納入が急増
御雇外国人から日本人中心の鉄道運営に(御雇外国人数は1874年がピーク)
英国領事ローサーが指摘「全ての日本の鉄道が外国人からのいかなる支援もなしで建設され、運営されるときが程なくやってくる」
その中心となった日本人技術者の多くはアメリカ留学経験者だった→アメリカのシステムに親和性が高い
(官営の日本人技術者は工部大学校出身が多い)
→→日本人技術者の誕生→機関車の製作や材料調達が日本人で可能に→資材発注の主導権はイギリス人から日本人に
アメリカの挑戦
1890年代の米の対日輸出の主役・機関車メーカーのボールドウィン社
日本の代理店的なものを横浜のフレザー商会に任せる
→この商会経由でボールドウィン社製の機関車が官営鉄道に使われる
日本商社の参入
先陣を切ったのは、軍の機械輸入貿易に従事していた高田商会…英米両国メーカーと取引
次は三井物産…1896年、NY支店設置→アメリカから円滑に調達、これが大成功
(背景には第二次鉄道ブーム1896−97年)
三井物産は総合商社=自社船でスピーディに製品を輸入
←大倉組などの専門商社は遅い定期船に依存。。。
大倉組はNY支店を設置、顧問技師としてアメリカ人クロフォードを雇う
クロフォードの仕事…①購入品の検査と証明書の発行 ②経験を活かして鉄道用品の価格・技術情報の提供 ③仕様書と見積書の差異に関する裁定 ④日本の鉄道関係者との人脈を活かした商品情報の提供
→日本商社の海外活動は御雇外国人によって支えられていた
第四章 局面の転換−日露戦争・鉄道国有化と機関車貿易−
日本市場の構造変化(1904−08)
1900年代前半の機関車日本市場は緩やかに拡大
but日露戦争勃発!
軍は朝鮮半島や中国東北部で鉄道建設を急ピッチで行うため日本の鉄道各社から機関車を徴発、大陸に廻送
→国内の機関車の穴を埋めるために欧米に発注
1907年、鉄道国有化
その前の民間のかけ込み購入→納期の早いアメリカ製が人気(対して、イギリスの凋落)
対東アジア機関車輸出の競争構造
20世紀初頭の機関車製造業…ドイツの台頭
・「長足の進歩」と、政府の補助金が可能にした「非常の低価」(ダンピング輸出)
・互換性製品や過熱式蒸気機関車の導入によって比較優位を実現
・アメリカは国内市場が好調で海外より国内に力を入れていた
市場環境の変化と商社の活動
日露戦争特需におけるフレザー商会=ボールドウィン社の対応の特徴
①京釜鉄道との長期的取引関係
②アメリカ式生産システムの大量・短納期が軍の要請に合致
③日本駐在のセールスエンジニア
第五章 機関車国産化の影響
機関車自給化政策と過熱式蒸気機関車
1908年、鉄道院発足−運輸部工作課のトップは島安次郎という民間鉄道でキャリア豊富な帝大出身者(この課員は他にも帝大出身者が占める)
モデル機関車の輸入
国産化モデルはどの車両にすべきか?−燃費面を考えて、過熱式蒸気機関車がいい
過熱式という条件で、英米独にモデルとなる機関車を発注
機関車国産化と市場再編
徹底したモデル機関車の模倣生産→民間メーカーの技術習得
機関車国産化の影響…海外貿易で利益を得ていた商社に打撃
→三井物産は機関車輸出産業の活路を中国に見いだす
but小型機関車においてはまだ国産以外にも輸入機関車に頼っていた
=重層的な市場構造(1920年代まで続く)
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